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2006年12月

2006/12/31

子供のころ総集編

 還暦を迎え、自分の子供の頃、を振り返ってみた、以外と印象に残ったことは覚えているものだ。これから後は書き始めると1ヶ月くらい続きそうなのでblogの題名に合わなくなるので止めることにする、昔はデジカメなるものが無かったので、下手な文字ばかりになってどうもいかん。文章が下手なので最近、有名な「国境の長いトンネルを抜けると雪国Img_2595 であつた。夜の底が白くなつた、、、」で始まる、川端康成の雪国を読んでいる、ノーベル文学賞を受けた人であるが、文章のうまさは天下一品であると思う。自然で肩がこらない、描写が浮かんでくる。
子供の時代貧乏暮らしを強いられた為、暗い話題が多かったが、大人になったら、うまいコッペパンをいっぱい食いたい、わらぶき屋根で隙間風が入りススがいっぱいある家でなく普通の家に住みたい、と思いわき目もふらづに働いた。おかげで今は普通の家に住め、ラジオおじさImg_2588_1 ん念願の小屋まで建てられた。裕福とはいかないが、なんとか暮らしていける、子供もなんとか独り立ちした、よかった、この地を離れて海外で暮らしたりしたので、今後は何らかの形で地域貢献もできればと思う、来年2007は部落の役もやることになっている、今年はライブドアの堀江社長、村上世彰逮捕と時代の寵児ともてはやされた人の不正が暴かれた、安部さんが総理になった、2人の閣僚が辞任に追い込まれた、いろいろあったが、正しいことが正しいあたりまえの世の中になっShougatu てきたような気もする。恒例の自家製正月飾りもつけた、来年は良い年であることを願う。

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2006/12/30

小学生のころ-6

 私が小学低学年のころは百姓は冬になると俵編みと縄つくりをした。俵編みは藁を縄でImg_3615 編んでいくのだが、木の台に縄が4本かかっていてここに藁を乗せていく、縄をひっくり返す手伝いを向かい合ってするのである。黙ってやっても飽きちゃうので、親父が戦争の話をよくしてくれた。近衛兵とかで皇居の防空壕をつくったこと。中島飛行機(今の富士重工)に行かされ、隼という戦闘機の機体のリベット打ちをやったこと。その工場の近くにB-29が墜落したこと。このとき拾ったというスパナーや機銃の弾丸が家に置いてあったが、どこにやったか今は無い。 戦地には行かなかったが、召集されて訓練はされたよだ。 戦争終了時威張っていた上長が、部下に殴られた話も聞いた。50年も前のことだが結構覚えている。冬休みの間はずいぶんこの俵編みを手伝った。今考えると、こんなことしても一銭にもならない。 米が売れて初めて現金収入が得られるわけで、とにかく貧しかった。家だけでなく、どこもこのようなものだからとくに不満はなかった。 ただこのころ、アメリカでは1家に1台自動車がある、すごいというはなしはよく聞いた。日本ではまだダイハツやクロガネの三輪車をあしでけ飛ばしてエンジンをかけていた時代であるから、想像もつかなかった。 今、家でも4台の乗用車がある。此の時代には夢にも思わなかったことだ。

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2006/12/29

小学生のころ-5

 食卓のスタイルもずいぶん変化しておもしろい。私が物心つくころは家族が畳に車座に座り真ん中に麦飯の釜、味噌汁のなべ、漬け物の盛った大皿とたまにでる塩魚の焼いた物ぐらいで、質素であった。印象に残っているのは、ちゃわんで食べた飯の残りが一粒でImg_1554 も許されなかったことだ。子供だから飯粒をこぼすこともある。これも許されず全部拾って食べさせられた。これは私の家だけでなくごく一般的だったとおもうが、よくわからない。これをまもらないと、痛いケンコツをもらうことになる。おじいさんが非常に厳格な人で厳しかった。キセルで頭を殴られたこともあった。このおじいさんは食べるとき立て膝スタイルで食べていた,私が小学2年のとき亡くなった。生まれて始めてみる身内の死であるこのころは土葬で四角いカンバコに首と足を紐で縛っていれた。残酷な姿が目に焼き付いている,長屋の屋根から落ちて具合がわるくなり2年後くらいに死んだのである。甘い物が好きで、渋柿の真っ赤に熟れたのを食べていたのを思い出す。葬式は近所のひとが集まり今とあまり変わらない。ただガンモドキを家で煮ていた。これがうまくて、変な話だが、近所で葬式のときこれを食べられるのが嬉しかった 当時も盛り篭というのがあり、東京のおじさんがあげた、バナナが入ってた。あとで生まれて初めてバナナを食うことになる。 食べる席順も決まっていた。それからお膳という木の四角い台に茶碗を乗せて食べて食べ終わると、お茶を食べた茶碗で飲んで、その後ふきんで拭いて、お膳に茶碗をかぶせて茶ダンスに重ねてしまった。今考えるとなんとも不潔な気がする。とにかくよくかけずり廻って遊んだのでハラペコで飯はよく食べた。家は子供が多く貧乏暮らしだった、柿の木が何本かあったが、柿が真っ赤に熟すのを見たことがなかった。そのまえにみんなとって食べてしまうのである。

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2006/12/28

小学生のころ-4

 また農家では当時、田植え、稲刈り等はすべて人力で子供も重要な労働力であった。学校も農繁休暇と言って春と秋に1週間くらい学校は休みで皆畑仕事の手伝いをした。稲のImg_3604 苗なども田圃の一角に蒔いていた。水も田圃の隅に穴を堀りわきをくみ出してまかなっていた。今と比較するとほんとうに自然でのんびりしていた。時の流れもゆっくりしていた
百姓は現金収入は少なく、貧乏であった。でも朝から晩までよく働いた今はほとんど作らないが冬は麦を作った。これを4月末に刈り取るのだが鎌で人力で刈るのである。刈った麦は平干しにしておくが、この時期は天気が不安定でよく雨が降る、そうすると刈った麦を乾かすためひっくり返すのである。するとまた雨が降り同じ作業を繰り返す。百姓は本当に根性がいる。こどものころこんな仕事をさせられたので、会社に入っても百姓に比べ会社の仕事は楽だと思った。当時は子供にも毎日仕事が割当てられていた。家で乳牛を飼っていた、乳を搾って出荷して現金収入としていたのである。朝はその牛乳を缶にいれて自転車で集荷場まで運ぶのが仕事であった。そして学校から帰ると牛の餌の藁を切り、牛の糞をかたずけるのである。 これが結構重労働でいやだった、特に夏は臭くて頭が痛くなった。またうどん茹でや薩摩ふかしなどもよくやらされた。当時は麦わらを燃やし料理をしていた、籾殻も使われた、薪は風呂を沸かすのに使った。薪は雑木の枝や、流木であった。藁は俵に編んだり縄として使われあまり燃やさなかった。かまどは土でできていて数年おきに田圃の土で作り替えていた。台所と呼ばれるところはすすで真っ黒だった。ここを年末に竹笹で掃除をしたこれがすす払いといわれるものだった。風呂は木の楕円形のもので銅のかまだった。風呂もずいぶん変わった。水いれもバケツからポンプと樋、水道へと、沸かす燃料も薪からコークスへそして石油の全自動へと、風呂桶は木からタイル、グラスファイバー、ホーローへ変わった、我が家の台所は割合と早く建替え、流しとプロパンのコンロがついて、風呂もタイルになった、これだけは近隣で一番早かったと思う、たぶん小学6年生くらいの出来事だと思う。 

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2006/12/27

小学生のころ-3

 2年生になり新校舎に移った。日当たりもよく、冬は石炭のダルマストーブが入ってずいぶん良くなった。この校舎も幼稚園として使われていたが解体されて今はない。桜の木はImg_3330 お金持ちの人が寄付してくれて細い木だった記憶があるが今は老木で幼稚園の庭で毎年春に花を見せてくれる。私は小学生のころは臆病・はずかしがりで国語の時間本を立って読まされるとき顔を赤くしていた。黒板の前で算数の問題をやらされるのもいやだった。ただ学校の行き帰りは楽しかった。昭和30年当時はお店も芋あめくらいしかなかったが、こずかいをもらって買い食いをした記憶がない。新しい校舎に移ってからは冬は、弁当を暖める装置が入った。 弁当は粗食で麦飯にこぶの佃煮が多かった。鳥を飼っていたが卵は売って現金収入とするので病気のときくらいしか食べられなかった。きわめて貧乏暮らしであった。正月の15日間は米の飯を食う習慣があり、このときはうれしかった。勤め人で弁当をもって行く親のいる子供で何人かは、米の飯の弁当を持ってくる子供がいた。いつもいいなと思い眺めていた。麦飯弁当は高校に行くまで続いた。こんな暮らしでも結構楽しかった。田舎暮らしの子供には何か夢中にさせる遊びがそして自然があったからだろう。小学4年までは分教場で5年から村全体の小学校に行くようになっていた。我々終戦子は人数が多く 1クラス約55人で6クラスあった。コの字形の校舎で庭に立派な松の木があった。この学校で思い出すのは、便所のタメ汲みである、今のように水洗ではないのだ、とにかく臭かった、学童が先生とともにやるのである。今こんなことしたら新聞記事だろう。村すべての学童が集まるので、かなり広い範囲の友達と遊べる。急に世の中が広くなったようで嬉しかった。また音楽の時間オルガンだったのがピアノになり、えらく立派に感じた。

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2006/12/26

幼少のころ-2

私は終戦子と言われる世代で、近所にもずいぶん同期のものがいた。登校は今みたいに集団ではなかったが、気の合う近所のものが集まって行った。道を歩くことは少なく、畑の中を歩いていった記憶がある。要は登下校の時間は大切な遊びの時間だった。 また田舎なので子供にとって遊ぶ題材が多くあったのである。子供の足でも15分くらいの距離を1時間も2時間もかけてあそんで帰るのである。用水路があり、水もきれいでタナゴやドジョウ、鮒、シジミなどがいた。赤土で足場の良い場所がありここは格好の水遊び場で、夏はよく泳ぎに行った。それに下校時仲の良い友達の家に行き遊んでくることもよくあった。冬は結構寒かった、学生服の上に”はんてん”を着ていた。 朝はよく焚き火をしてもらった、燃やすものは雑木のそだや古材、流木などである。だが子供がマッチをもって火をつけることは厳しく禁じられていた。雪の日は長靴をはいていった。これは今と同じで雪合戦などで遊ばしてもらった。

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2006/12/25

幼少のころ-1

生まれて今日で60年たった、幼少のころを振り返って、
 
私は大人になってからと比べて子どもの頃のほうが時間の経過が長かったと思う。何故だろうか?、自分なりに振り返ってみた。 たぶん自然を相手に過ごした時間が多かったからだろうか? 最も小さい頃で覚えているのは、箱車を近所のおねいさん(私より2~3才上の人)に押してもらったこと、瀬戸でできた4つの車がついた木の箱(いまでいう乳母車)にはいって遊んだのをおぼろげながら思い出す。それと長屋の前で冬の西日に当たりながら飲んだ甘酒、5~6才の頃だと思う。もっと小さいとき農業用発動機のうるさいところで眠ったような記憶もかすかにある、学校に入ってからは記憶していることが多い。

一年生から2年生は古いあまり日当たりの良くない校舎で過ごした。窓は硝子だったが天井が編み目のある簀の子天井だった。回りに竹やぶがあり、床の隙間からタケノコが出てきてみなびっくりしたことがあった。またトイレが汚く大が1カ所しかなく休み時間は皆並んでいたのを思い出す。 冬は寒く弁当を先生が火鉢で暖めてくれた。夏は裸足で学校に行った。井戸端のコンクリートの流しに水を流して足をパチャパチャやって教室に入った。この光景は 記憶に焼き付き今でも鮮明に思い出す。当時の田舎道は舗装どころか砂利も入っていず、雨がふるとぬかるみになった裸足のほうが理にかなっていたのかもしれない。また履き物は冬はげたをはいた。父が畑の角に植えておいたきりの木を切ってげたを作ってくれた。足は足袋である。

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2006/12/24

すぐに真似

Img_2968・親父の命日で墓参り、菜々チャンも飽きちゃっているので、いっしょに行く、線香あげて手を合わせているのを見て、すぐに真似する。

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2006/12/23

普通のラジオ

Img_2956・前に3万円のキットを買ったが、真空管の普通のラジオの部品を集めるのは大変だと思っていた、良く考えて見ると、古いラジオはかなり出ている、見ていると結構程度の良いものでもテストしてません、とか鳴りません、て言うのは安い。これも未テスト品で格安でおちた、受け取って電源入れると何もしないでよく聞こえる。部品をとるつもりで買ったが、ちょっともったいない。3万円出したのは失敗でx千円で、(コイル1個の値段で全部そろう)十分に部品がImg_2951 集められたのである。多分出品者は古いもので後のクレームを考えると、鳴りませんの方が安心なのだと思う。バリコン、IFT、電源トランスなど部品で手に入れようと思うと、やけに高いのが一般的だ。古いラジオも良く見て買えばそれなりのものが手に入るものだ。部品だってこの方が安心して使える。手に入れたものはホコリも錆びもほとんどありません非常に綺麗でした。逆に3~8万というものが出ている、直して売って金もうけしようとしている人が出しているのだろう、世の中需要と供給の関係で価格が決まるのだろうから、なんだかんだ言う必要は無いのかも知らんが、こういうのは私はパスですね。感度 「極微電界級」って記述がなんともファジーで面白い表現ですね。

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2006/12/22

綱引きの絵

Photo_2・孫の描いた絵、1年生でも絵の具使うんですね、子供の絵はうまい下手はおいといて、天真爛漫なのがいいですね。右上のは何か聞いたら、テントだそうだ。

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2006/12/21

お化けゆず

Img_2933・「これはなあに?」 近所でいただいた「お化けゆず」あまり香りが無い。私が勝手にこういっているだけで正しい名称は解らない、こどもが持つとよけい大きく見える。

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2006/12/20

TS-900購入顛末記

4年前の話である、
10/24/2002
ebayを覗いていたTS-900が出ている。
遊びのつもりでbit、送料含めて$X00以下で落ちた、paypalで支払う。日本のyahooでは結構高値で取引されている。電源もついている、電源はパーフェクトとかいてある、本体はバンドスイッチの接触不良があるようだがそんなひどいものではないようだ、的確なsellerでやりとりもスムースで安心もっとも会社のようだが。船便で送ってもらうことにした,12月初旬には着くだろう。終段は6LQ6だ、この球ebayで調べると、けっこう出ている、当時USではメジャーなタマだったのであろう。TS-900は1973年に発売されたものだ。送信管を使った高級機だという、かすかな記憶はあるが詳細はわからない。こんな趣味が始まるとは夢にも思っていなかった、でも青春の思いは蘇るのかな、、、

マニアルを注文しておいた、マニアル専門屋で$31送料込みである、そのうちタマも注文しておこう30年前の真空管がついているのでたぶん差し替えないとダメだろう。日本のTS-900は6146が使われているのでトランスの電圧タップが出ていれば、6146に入れ替えると言う手もある。でも当初はオリジナルで行ってみよう。正月のおもちゃができた。

12/2/2002
船便は1ヶ月以上かかる、本体だけ到着した。外観はまあまあである。基板のふたが一部無い、出品の写真にはあったのに残念、またRF基板おさえ板が紛失している、とりあえず温水シャワーで掃除をすることにする。

12/11/2002
PS-900が到着しないので、問い合わせる、すぐ返事があり、調査するとのこと、税関検査でおくれるかもしれない、9、11以降税関検査がうるさくなったという、同時期オーストラリア向けで遅れがあったとのこと。対応が良いので、少し待つことにする

12/14/2002
マニアルは届いていた、親父がもぼれて着いたものがすべて横文字のため、封破って投げてあった。送り主に着いてないが送ったかとか問い合わせたが大変失礼した。

12/15/2002
ラッキー
税関から手紙、あなた宛の梱包は何個か?前に荷物をうけとっているか?について答えてくださいとある。もう一つの荷物は税関にあることが判明。半分あきらめていたので、思わずニッコリ、インボイスを同封して税関に手紙を出す。たぶん2個口の1個にインボイスをImg_1606 つけてもう一方につけていなかったのだと思う。それで税関に止められたのだろう。送り主は2重に税金をとられないように気をつかったのだと思う。フロリダ、マイアミのこの人は非常に親切でジェントルマンということがメールの内容でわかる。言語は異なっても、同じ人間だからその辺はよく感じとれる。世の中いろんな人がいるがこういう人にめぐり合うと、心がなごむ。さっそく心配かけてますが、物は日本の税関にありました、とメールを入れておいた。なんか運がついてきたかな、いいことあるといいなーーー、、

12/23/2002
6LQ6が4本着いた。NOSと言われるものだ。昼もちつきをした、皆いっしょに「あんころ餅」を食べた。夕刻親父が亡くなる、1時間前までは元気で庭掃除をしていた78歳、だれにも迷惑はかけなかった、大往生である。しばらくラジオいじりは中止となる。

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2006/12/19

VFOの回路図

Ts510 ・TS-510の回路図にVFOの回路が載っていない、当時安定度の競争で機密にしたのだろう、SSBハンドブックを眺めていると載っていた、もう機密ではないだろう、この回路は当時トリオの機械の標準だったと思う。

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2006/12/18

「硫黄島からの手紙」をみて

「硫黄島からの手紙」をみてきた、映画館の入りはおおむね80%くらいであった、やはり戦争を知っている年配の人が多かった。隣の席にいた人もほぼ70歳くらいの夫婦だった。せがれにも券を買ってやり、たまには映画でも見ろといったら、見に行ったようで渡辺謙さんはいうまでもなく二宮和也がでていてちょっと軽いが結構名演技だったので感激していた。若い世代がこういう映画を見てどう思うか興味があるところだが、手りゅう弾による自害シーンは衝撃だったようだ、つまらん解説や語り無しで、淡々と戦争の愚かさ悲惨さを見せてくれた映画だと思う、前に「散るぞ悲しき」を読んでいたので、ストーリーは大体解っていたので、あまり感激はしなかったが、アメリカ兵が日本の捕虜を殺害するシーンは戦争なんてこんなものだ、正義も何もないよと監督が言っているのが聞こえるようだった。映画を見る前に、その映画の元になった本を読むのは止めた方がよさそうだ。

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2006/12/17

クリスマスの花

Img_2928・いたずら部屋が殺風景なのでポインセチアを買ってきて置いた、派手なので1つでもめだつ。シクラメンも買ってきたが、玄関に置いた、歌の文句じゃないが、シクラメンは木洩れ日程度がいいらしい、あまり暖房の効いた部屋はよくない。ポインセチアはメキシコの原産らしいから寒いのはダメかな、とにかく部屋の中に置いた。

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2006/12/16

媒体の変遷

Media ・情報を記録する媒体も大きく変化している。磁気テープはシーケンシャルアクセスだがわりと古いメデアだ、この時代は保管が大変で大きなラックがどこでも置いてあった、次にフロッピーデスクだが最初は8インチ次に5インチ、3.5インチと小さくなり容量は大きくなった。8mmテープも一時使われた、DAT、MO,ZIP、カセットMTなどなど、最近はLTO 200GBとかで小さく大容量化は進んでいる、簡単な用途ではCDやDVDで十分だ、信頼度を上げるためには情報のバックアップや保管は重要だ。私はバックアップしているサーバーの一部を使ってブリーフケースとしてラップトップのデータを同期させているが、意外と使っている人は少ない。時々考えてしまうが100年後はどの媒体が読めるのだろうか?

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2006/12/15

GRS-6(6球)

Img_2897・7月頃に中国製5球スーパーキットを買っておいた、孫が中学生にでもなったらいっしょに作ろうかと思い、積んであった。いろいろ情報を見るとなかなか簡単ではないことが解る。とりあえず部品を取り付けてみる、初めて作るのは難しいからということにして、配線するかどうか迷っている。孔があいたシャーシーと部品1式がそろっていて3万円也である。おじ様達には結構人気があるらしい。バリコン、真空管、なんて若い人には死語ですよね、シャーシパンチとリーマで穴あけする楽しみは無いが45年前に作ったST管ラジオを思いだす、古いホコリのついたラジオばかり触っているので、新品のピカピカはまぶしい。

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2006/12/14

セラミック球

Img_1835・たぶん30年くらい前だと思う、新品のピカピカ、ケース入りをもらったが、保管が悪くえらい汚くなってしまった。

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2006/12/13

KWM-2の水晶

Img_2889・全部そろってないが、水晶がいっぱい、これ全部あるとオールバンドOKとなるのかな?、1KHz直読にするため1個で200KHzしかカバーできないから大変な数になる。DDSやPLLの時代には不要、これこそ宝の持ち腐れ、軍用かなんかで使ったのですかね。

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2006/12/12

もう1つのFL-200B

Fl200b22Fl200b33・もう1つのFL-200Bである、同じようなアングルで写真を撮った、良く見ると微妙に違う。こっちは真空管が1本少ない、ツマミの中にアルミが入っている。電源トランスがメッキ、メカフィルは同等品と前オーナーが取り替えたそうだ、それとダイアルの後ろにグリーンのアクリル板がついてランプで緑に光る(これオリジナルかな?)、両方とも今は無きシ-メンスキースイッチがついている、この時代の送受信の切り替えは全部コレである。シャーシーに穴があいて、L型端子にRCが付いてる、こういうのいいですね。こっちの方がオリジナルに近いと思う。

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2006/12/11

散歩よ!

Img_2692・お気に入りの靴履いてお庭のお散歩、菜々ちゃん寒くないよ!

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2006/12/10

FL-200Bの洗濯

Fl200bs_1Fl200bm_1・FL-200Bの洗濯、かなりのホコリの山であったがアンモニア希釈液とシンプルグリーンでご覧のとうりピカピカといいたいが、実は写真のマジックそれほどでもないのだ。なんかいつのまにかFL-200Bが2台になっちゃいました。シャーシーに直付けした真空管の機械を見ると無性にほしくなっちゃう、変な病気にかかりました。トランスの頭が赤錆が出ていたので磨いて部分吹き付けをする、その他はこれから、かなり改造してあるようで苦戦かな?アルミの掘り込み彫刻パネルは今のプラスチックパネルとは雲泥の差だ、質感がまるでちがう。ただこの時代のネジは今のJIS規格でないので取り替えるときはインチねじを用意する必要がある。

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2006/12/09

MF-455-10Z

Img_2797Img_2770Img_2793・455KHzのメカフィルをオーバーホールした、FL-200Bという八重洲無線の送信機についていたものである。開封して綺麗にシンプルグリーンで洗濯、中のスポンジがぼろぼろで、テッシュペーパーを重ねて厚くしてくるんで入れた。特性をみてみた、インピーダンスがミスマッチなのか通過帯域内のハンプが多い、collinsのメカフィルに比べるとシェープファクターは悪い、1965年製造だから40年前のものである。

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2006/12/08

大手町サンケイプラザ

Sankei_1Img_2727_1・大手町サンケイプラザでセミナーがあり出かけた。時間より少し早く着いたのでB1のstarbacks coffeeで時間をつぶした。昼時は食う場所より人間の方が多いのか、小型バンのお店が陣取る。廻りを見渡すと意外と緑(今は紅葉)が多い。30年前東京に勤めていたが銀行の名前が変わってしまって、なんかよくわからん。

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2006/12/07

老齢年金の裁定請求書

Img_2724・企業年金連合会から老齢年金の裁定請求書がきた。前に勤めた会社で積んだ基金の分だ。なんか否応なしに、あなたは定年だよと言われているようであまりよい感じはしない、反面知らず知らずにお金が積んであって年金がもらえるので良かったと思う。書類はそろえておいて来年早々に申請しよう。どうせしばらくもらえないことになっている。

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2006/12/06

Fordの新聞広告

Ford_1・自動車のFordの新聞広告である、日付は昭和3年9月xx日(1928年) 東京朝日新聞とある。亡くなったおばあさんのタンスの中から出てきた新聞である。吉野家の牛丼の宣伝文句みたいな、強い、安い、速いなんて書いてある。記事を公開するのはまずいと思い、これにした。やはりこのころは乗用車でなくトラックなんですね、車の性能を表す単位がおもしろいですね、年表を調べると野口英世が亡くなった年だった。http://www.ford.co.jp/servlet/ContentServer?cid=1137383659229&pagename=FJP%2FDFYPage%2FDefault1024&c=DFYPage 日本で生産したようですね。

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2006/12/05

変調トランス

Img_2688・ラジオのblogがイモとダイコンでは一般日記になっちゃうので、昔の思い出を、、A3送信機で最初作ったのはハイシング変調というチョークコイルを使ったものだったが、その後このトランスを買ってプレート・スクリーン変調とした、球は7189?X2だったと思う。このトランスが高価でなかなか買えなかった記憶がある。大きな電源トランスはどっか行ってしまったがこのトランスは残った、お宝だが何も使い道は無い、単なる重い鉄の塊だ、でもアルバイトを幾日もやって汗かいて買ったので、何故か捨てられない。このころ皆トリオのTX88Aを使っていたが貧乏な私にはとても買えなかった。

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2006/12/04

「いも」とダイコン

Img_2665Img_2667_1・寒くなった冬の準備で芋を掘った、種にする芋は地中に埋めた。ダイコンはいっぱいあるが50本ほどとって家に運んだ、ばあさんが剥いてたくあんにつけるという。ヤツ頭イモは当地では昔から有名だ、土地のよいところでないとダメらしい。昔利根川の氾濫で肥沃な土地になったらしい。子供の頃からこんなものばかり食って育ったので、お上品なものはいまだに口に合わない。ダイコン(このようなかっこうをした)はアメリカのスーパーでも店員がダイコンて言ってた記憶がある。もう忘年会シーズンだ、今日会社のメールに忘年会の誘いがあったが(主催が某メーカー現役の人)若い人が多いのと、半分以上あまり面識が無いのでパスすることにした。

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2006/12/03

イチョウともみじ

Img_2676Img_2678・イチョウともみじ、今年は暖かいが、12月になり平地の紅葉もまっさかりである。これは境町の吉祥院の庭である。

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2006/12/02

1歳の記念カレンダー

Img_2659・菜々ちゃんカレンダーである。プロの写真屋はうまい。よく写ってないとお客さんに買ってもらえないから、必死である。やはり子供をどうしたらかわいい顔にさせるかを経験により習得しているのである。最近は画面でどれが良いか選択して印刷するようだ。何の世界でもお金を取るのは大変だが、必死で幼子に表情をつけその一瞬を見逃さない、スタッフの真剣さはさすがプロと関心してしまう。

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2006/12/01

チケットの発券

Img_2663・映画のチケットをファミリーリーマートで発券してきた。メールに書いてあったメニューと少し違ったが、IDとパスワードを入力してレシートのようなものが出てきた、これをレジにもっていって100円払って券と引き換える。ちゃんと名前が入っているのでレジのところにプリンターがあるのだと思う。100円払うのがちょっと面白くないが、まあ窓口で買うより400円安いから良しとしよう。

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