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2010/01/06

戦争の話

・正月に戦争の話をばあさん(85才)から聞きました。死んでしまうと聞けないのでICレコーダーをつけて話してもらいました。その中で面白かったが、悲しい話。

1、「俺が嫁にもらうから待ってろ」、と言って近所の二人が戦争に行ったが、二人とも戦死して帰らなかった。記憶では千人針は作ったが、武運長久の寄せ書きはあまり記憶が無い。兵隊送りは何回も経験した。

2、友人と撮った写真(20才の頃)が良く撮れたので中国に出兵した兄に送った。帰った時に良く送ってくれた、あの写真のおかげで「饅頭」がいっぱい食べられた、ありがたかったと言われたそうだ。(日本の若い女性の写真は兵隊さんには珍しく、饅頭食うより写真が見たかったのだろう)

3、兄が中国に出兵するとき、子供(長女)を会わせるため水戸まで連れて行ったが、もう出発するので並んでいてだめだと言われた。その子供が大泣きしていると見ていた上官が特別許可してくれたが、「よく来たな」と抱き上げてすぐに隊列に戻って出発した。はがきの右下に○をつけたのを送るからその時は別れに来てくれと暗号のような約束をしたそうだ。

4、終戦の玉音放送を近所に聞きに行った、飛行機が低空を何十機も飛んで、ものすごく怖かった。若い女は隠さないとということで裏山に穴を掘ってもらったが入らずに済んだ。

5、終戦の何日か前に今の家の数キロ先にB-29が爆弾を5発落とした、幸い畑と田圃の中でけが人は無かったが大きなすり鉢状の穴が明いて、見に来いと言われたので船で越してもらって見に来た。大田の中島飛行機を爆撃にきたとき、間違って落としたらしい。

6、私の親父は近衛兵で終戦の頃は天皇陛下の防空壕を作っていたそうだ、8/15日終戦で逃げ帰った人もいたが、親父は解散の指示がでるまで1週間くらい帰らなかったそうだ。

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コメント

悲しい話ですね。
3の話など規則と情との絡み合いが悲しいです。

終戦から20年ほど経ってこの世に生を受けた私は、戦中戦後の苦しさを本当の意味では知らないのです。

いつだったか、近所の長老たちが竹槍訓練の話をして、馬鹿みたいなことをしていたもんだと笑っていました。人間は追い込まれると視野が狭窄するから気をつけろと教えてくれたのでしょう。
最後に笑い飛ばした彼らの様子が忘れられません。


ことしもどうぞよろしくお願いします。

投稿: JM1MWQ | 2010/01/07 19:08

ばあさんが最近認知症かもしらんが一人でペラペラ昔話をしてるので、うるさくてしょうがないから聞いてみたのです。私も戦後生まれで戦中のことはよく分かりません。小さい頃は物が無い時代でしたので、ツケ木という硫黄を塗った木片、石鹸等を家で作っているのを見たことがあります。平和な時代に生まれた人には解せないことが多いと思います。

投稿: Yukio | 2010/01/08 09:00

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