お宝

2009/01/25

うなぎを釣る道具

Unagi1 Unagi2・これは何でしょうか?、
うなぎを釣る竿です。もっとも長いのが3m55cmあります、竿といっても普通の釣り方とはまったく違います。釣り船で増水した川の真ん中にいき船べりにこれを立てて川底の砂に先端をつけます、そして水糸で船に縛るのです。えさはミミズを糸でイヤリングのように通して先端に縛り付けます。釣り針はありません。うなぎの歯は斜めに付いていて噛み付くとえさから簡単に外れないのです。噛み付くとすごい「あたり」です。立てていた竿を抜きますと浮き上がります、そこでうなぎを船の中に入れます。夏かなり増水してにごった水のときやりますので、船を止める「さお」を挿すのが大変です。慣れないとまず出来ません。「さお」といっても鉄のつめの付いた6~7mある杉の丸太です。私は12~13才ころ親父に2~3回連れて行ってもらいました。すごい濁流の中でやるので子供心に命がけのように感じました。短いほうはうなぎの子供(めそ)をつるのに使います。約1mです。これはずいぶんやりました。釣り場所を見つけるのが勝負でいい場所が見つかれば、ほぼ入れ食いです。これは川岸に船を止めてやります。船底が「めそ」でいっぱいになったこともありました。20年くらい前にやったのが最後です。納屋の屋根の雨漏りを修理してたら道具が出てきましたので、写真に収めておきました。うなぎは川を下るので「下りつり」と言います。「めそ」は川を上るので「上りつり」と言います。なんせ餓鬼のころは家は半農半漁で届けてありました。銚子の水門が出来たときは漁業権を持っていたので保証金をもらったと親父は言ってましたから。

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2008/05/29

Speaking Language Master

Lm4000・約20年前の英英辞典、検索スピードは遅いが、SAYで単語の音声が出るので置いてあった。LANGUAGE MASTER今も売ってますね。当時$600くらいしたと思った。電池を入れると動きました。セイコーインスツルの電子辞書もFranklinと提携しているようです。 英英辞典はさすが日本では売れないようで、見つかりません。

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2007/09/17

待網

Photo_2・これは待網という仕掛けである。この網を使うためには川に流れを変える仕掛けを前もって作っておく必要がある。「巻き形」と呼ぶもので川の流れに直角にせき止める柳の木の生垣のような物を作るのだ、すると流れが渦巻きをおこす、つまり川の流れと反対に流れる部分ができるここにこの網を立てて入れるのだ、網の中心付近2箇所くらいを水糸で結んで出して手で持っている、魚が入るとあたりが手に伝わる、するとこの網の両辺にある竹棒を閉じて魚を巻きつけて取るのだ。大きなコイやフナ、なまず、草魚などおおきなさかなを取る。水の量が多くないとダメで、適度な水量の時だけできる漁法である。こういう方法で取る人はもう亡くなってしまって誰もいない。私はこの仕掛けでとっているのを何回も見ているので使い方は解るが、これを使う場所がもう無いのである。

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2007/09/15

投網

Photo・投網(トアミ)、親父が使ったもので、納屋に下がっているが、ぼろぼろになってきた。右のものは手編みのものである、百姓のひまな冬の夜編んでいたのを思い出す。錘は鉛を買ってきて耐火煉瓦に彫った型に流し込んで作ったものだ。網をピッと張るため柿の渋を使ったこれにつけて干すと茶色の網になる。私は網は打たなかったが、船をこいで夏の夜は親父と魚取りに出かけた。つい7~8年前まで船を持っていたのである。取れる魚はフナが多かったがコイ、スズキ、草魚などだった。川の様子を良く知ってないと網を破ってしまう、とにかく暗い夜網を打つわけだから、でもときどき蛇籠にかけて裸になって潜ってとろこともあった。親父の趣味は魚取りと植木いじりだった。投網は一人ではできないので良く付き合った。銚子の水門ができたときは漁業権を持っていたので保証金がきたようだ。いまの子供は利根川に行くことはほとんど無いが、わたしが育つころは朝から晩まで、特に夏休みはよく行って遊んだ。

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2007/04/14

使わないお宝

Img_4514・何十年か前に誰かにもらったCANONプラグ、これは全く使い道が無い、軍用にでも使われるものか、未使用のものだ。なんかかっこが良いので飾りにでもするかと思い、とっておいたものだ。貧乏性も手伝ってガラクタが多い、長屋を壊す時随分ジャンクを捨てたつもりだが結構残っている。

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2007/03/20

シャーシーパンチ

Img_4141・ガラクタからこんなものが出てきた。45年前に買ったお宝である、真空管ラジオ製作ではアルミシャーシーの加工が結構たいへんだった。、特にST管はソケットの取り付けに大きなアナをあけなければならない、中心ネジ部が入る穴をあけて該当径のパンチとダイをはめ込みネジって所定のアナをあける工具で、ラジオ少年必携の工具であった、錆びだらけだが使えると思う、人間年を取ると子供に戻ると言うが、本当ですね、赤ちゃんまでもどると厄介者となるので、この辺で留まりたいですね。

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2007/02/06

Halicrafters S53A-メタル管

Img_3443Img_3436・S53Aの真空管、Halicraftersのマークが入ったメタル管、このラジオはGT管、MT管、メタル管が使われている、私の持っているラジオでメタル管はこれだけだ。ガラス管のほうがヒーターの火が見えて良い、整流管はダイオ-ドが挿してあるがいつでも真空管に交換できる。「s53a.jpg」をダウンロード

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2007/02/05

36年前のグッドデザイン賞

Img_3419・BGMとしてFMのラジオが欲しくなりヤフオクで買う¥1x00円也。真空管のFMラジオを見つけていたがあまり良いものが無いのでこのトランジスタラジオにした。良く掃除してDeoxitを吹きかけたらFMがきちっと聞こえる。調べて見たら東芝のRH-541Fと言うラジオで、1971年にグッドデザイン賞に選定された物であった。

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2007/01/30

Lafayette HA-230(9R59)

Img_1278・回路は9R59でデザインはJR60のようなもの、Lafayette HA-230である。日本の9R59は高いのでebayでこれを買った、普通売人はそっけない人が多いが、これを売ってくれた人は人懐こくよくe-mailをくれた。お父さんがパイロットをやっていて、亡くなったがこのラジオを使っていたそうだ、パイロットにしちゃボロラジオを使ってたと思う。ガラスの目盛りがベロとはげて、こりゃダメだと思ってたら、ヤフオクで模造品が出ていてこれを買ってはめた、非常に出来が良くオリジナルとなんら変わらない。コンデンサーを全部交換し、調整したらまずまずの感度と音である。普段AMラジオとして使っている。「HA-230-manual.pdf」をダウンロード

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2006/12/14

セラミック球

Img_1835・たぶん30年くらい前だと思う、新品のピカピカ、ケース入りをもらったが、保管が悪くえらい汚くなってしまった。

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2006/12/05

変調トランス

Img_2688・ラジオのblogがイモとダイコンでは一般日記になっちゃうので、昔の思い出を、、A3送信機で最初作ったのはハイシング変調というチョークコイルを使ったものだったが、その後このトランスを買ってプレート・スクリーン変調とした、球は7189?X2だったと思う。このトランスが高価でなかなか買えなかった記憶がある。大きな電源トランスはどっか行ってしまったがこのトランスは残った、お宝だが何も使い道は無い、単なる重い鉄の塊だ、でもアルバイトを幾日もやって汗かいて買ったので、何故か捨てられない。このころ皆トリオのTX88Aを使っていたが貧乏な私にはとても買えなかった。

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2006/10/07

自作送信機のケース

Img_1977・昔の真空管式送信機のケースだ、シャーシー剥き出しだったのをこのケースに入れた。部品はどこかに行ってしまった、行方不明である、おおきなトランスがあったが・・、このケースは昭和30年代、自作の送信機を作った人は記憶があると思う。ケースだけがなぜか残った。さびが出て汚いが、思い出として取っておくことにした。

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2006/10/04

CQ誌1963年

Yaesu・1963年のCQ誌の宣伝ページ、八重洲無線が小さな宣伝を出している。トリオ現ケンウッド全盛のA3時代だった。ICOMの宣伝は見つからない、もっとも当時は井上無線?と言っていたとおもうが。このCQ誌の価格は¥150であった。サラリーマンの初任給が1万円くらいだったと思う。







Ozawadenki ・今もある小沢電気、1963年当時は真空管の時代だったのだ。6360が特価¥700だったのですね、807は¥350ですね、

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2006/09/27

TS-700S

Img_1795・TS-700Sヤフオクでは安い部類の機械だ。
・VFOのバリコン接触不良
・カウンター回路とパネルををつなぐコネクター部接触不良
・スタンバイリレーのドライバー トランジスター不良
・発振回路のFずれあちこち。
・照明ランプ切れ
を直してなんとか動いたが、スケルチの利きが悪い。トリオが輝いていた時代の機械だろうデスクリート部品なのでいじれるのはうれしい。

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2006/09/17

初期のダイオード

Img_1733・たぶん昭和30年代だと思うが、家庭用真空管ラジオ、5球スーパーの検波用ダイオードである。音が小さく蚊がなくような音しか出なくなった、このダイオードをIN34Aに交換した。綺麗な大きな音になった。

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2006/09/07

Hallicrafters S53A

Img_6326・Hallicrafters S53A いちおうBC帯からHF30MHzまでの目盛りはついている。一言で言うと鉄の箱のラジオである。さすが整流管だけダイオードにしたが他はHallicraftersのロゴが入った真空管が入っていてAMラジオ放送は良く聞こえる。外れていた配線を付けた程度で部品は交換してない。オリジナルだと思う。Hallicrafters社が元気な頃、作られたものだろう、たしかシカゴ近郊に会社があったと思ったが、、シカゴと言えばゼニスがTVを作っていた頃シカゴの本社を仕事で訪問したことがある。1Fに古い木の箱に入ったラジオが誇らしげに展示されていたのを思い出す。そこの技術屋のボスが赤のポルシェに乗っていた。ゼニスは今はどうなったのか?
Img_2837・俗称Black Beautyと呼ばれるコンデンサーがついているが、ちゃんとラジオは聞こえる

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2006/08/29

古道具

Rekishi・昔の道具が雨ざらしで置いてある。せんばこきはさすがに使っているのを見た覚えが無い、利根川が近いのでこれにかかわった道具は結構ある。川舟は10年ほど前までは私が生まれてからづっと浮かべてあった、親父に川舟を新造してやって3年くらいで病気になり他人に売ってしまった。残念だが私も船のおもりをする時間も取れないので売ることに承諾した。

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2006/08/07

SB-301

Img_1276・「オーロラの彼方に」FREQUENCY (私は見てないが)に出てくる無線機ヒースキットSB-301。AFが歪んでいるが混変調に強い、真空管リグ、LMOと呼ばれるVFOは割と安定している。collinsと比べるとダイアルメカ等はちょっとボロイと言う感じ。3.5MHzの同調がやけにクリチカルである。コンパクトロンで3ヶの真空管が1個のガラス管に入っているものが使われている。またベークのプリント板が使ってあり安っぽい。ただシャーシーとケースはアルミである。この時代のはTRIOの機械と周波数設計が同じである。

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2006/07/27

813

Img_1197・1969-2製作の813 メーカーはTEN いかにも送信管という感じがする球である。

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2006/06/07

ライトペン

Img_0162・1980年代日本の大企業の機械系CADのデファクトスタンダードはCADAMであろう。かの有名なロッキード社のトライスターなどの開発に使われたようだ。このころのグラフィックデスプレーは今のような液晶画面でなく、ブラウン管でしかもラスタースキャンでなくベクトルスキャンと言われたものだった。IBM3250が有名だった。IBM5080が出たが高い(たしか1台800万円)ので中古の3250を使った。結構使いやすく操作性は抜群だったと思う。それとデザインがかっこよかった。このデスプレーのお役ご免のときに記念にとっておいたのがこのライトペンである。この時代は大型汎用機でCADを動かす時代だった。最後はIBM4381というマシンだったが非常に安定して良い機械だった。たしかDISK(IBMはDASDと呼んでいた)容量は6GBだったと思う。今のLaptopよりはるかに少ない。昔の汎用機(億の値段)以上の性能のマシンが今は机の上にチョンとのる時代である、私のLaptopで3D-CADがすいすい動く、良い時代になった。でも世の中なんか、くるっちまった。朝早く出勤して、先輩の机を拭いて、お茶を入れてた時代がなつかしい。

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2006/06/06

576A

Img_0159・66,9は1966年9月製造の意味だろう、すると約40年前に作られた真空管だ、定期交換の品だと思うが、いただいたものである。整流管かな?JRCのマークが入っている。ご立派なものだが今となっては眺めているだけのものである。生まれた時に真空管などこの世で生産されなくなった世代の人にとっては、奇怪なものと見るのか、ゴミとみるのかそのうち孫に聞いてみよう。

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2006/05/18

16Bitミニコン

「O-4300-.pdf」をダウンロード
・ROMをさがしていたら、出てきたもので、私が20歳台に最初にふれたコンピューター(正確にはストアードプログラム式<コアメモリー付>のノイマン型コンピューター)のインストラクション一覧表である。レジスターが少なくすっきりしたアーキテクチャーでモトローラのMC6809??に似ていた。最初はDOSもまともになく、スイッチレジスターをパチパチやって、IPLを入れて紙テープリーダーからプログラムを読み込むものだった。コンソールのキーボードからCPUのメモリーにプログラムやデータを打ち込むには、I/O命令を出してなんてマシン語で書かなければならなかった。そのうちDOSが使えるようになり、アセンブラが動くようになったときは、こんな素晴らしいもの誰がかんがえたのかと感心していた。最初のプログラムは16進数のDUMPであった、これができると一通りコンピューターとは何ぞや、ということが理解できた。なんでも世の中、仕事には関門があるような気がする。1つのコンピュータのアーキテクチャーとインストラクション、I/Oをよく理解すると、あとはなんとかなったと記憶している。このコンピュータをマスターしたことはその後の私の人生に大きな自信となったことは事実である。私はインテル8080が産業機器に利用されだした頃、この関係の仕事をやめた。いやでやめたわけでは無いので、その後Z80でCP/Mの動くコンピュータを作って遊んだ。今のマウスプチプチからすると想像できない話である。業者がきてインターネトの話になりMosaicを知っている人が殆どいない、自分が年をとった証拠であると最近思っている。http://www.ipsj.or.jp/katsudou/museum/computer/0760.html

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2006/05/17

EPROM

Img_6801・約20年前の残骸である。PROMが使われている無線機のレストアをするため見つけだした。2716(2Kx8)、2732(4Kx8)である。モット古いので2708と言うのもでてきた。MS-DOSの前のCP/Mを動かすために自分で作ったZ80のBIOS ROMである。たしか8”のフロッピーデスクを動かしてCP/Mのコマンドをたたくとそれを解読して実行してくれるOSに感激した。今では考えられない時代の遺物、BIOSやブートROMは缶詰の中に入った缶切のような感覚になることがあり結構面白かった思い出がある。8”のFDが動いてA>のプロンプトがでたときの感激は未だに忘れない。ROMライターも(自作)あったがCP/Mで動くものなので今は使えない。確かこのときのコンピューターはFDの基板に猫がション便(きたない)かけて動かなくなった。いまでも探せばどこかにあるはずだ。これ以前はコンピューターはスイッチで16進数をメモリーにストアして動かしていた。どういうわけか私の生まれは世界最初のコンピュータ エニアックの生まれた年である。http://www.wizforest.com/OldGood/eniac/ 最近のコンピューターアーキテクチャーは疎いがノイマン方式は生きているのだろう。

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2006/05/03

Heathkit DX-40

Dx40 Img_3910Img_3905_1・昔CQ誌に紹介が載っていてなんとなくパネルデザインが当時としてはおしゃれに感じて覚えていた、見るために買った??ものだHeathkit製なのでなんとなく安っぽい。A3時代のもので変調方式がちょっと変わっていた、日本でもよく真似ていたひとがいた。ebayで買ったのだがなぜかW7FGが出品していたものだった。自分が使っていたものか、こんな商売しているのかはわからないが。 

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2006/04/29

100μA

Img_6356_1・昭和39年頃だと思うが、高1中2を作ったときのSメーターである。結構な値段で、バイトをして買った記憶がある。このころのものはネジが今の規格と違い、無くすと大変。

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2006/04/28

HEMMI 255D

Img_6483Img_6500_1 ・HEMMIの計算尺だ、なぜこんな物を手に入れたか?記憶が少し薄れたがたしか高校2年の時に計算尺の検定試験と言うのを受けて2級を取った。1級を受けようとしたが私の持っていた片面の計算尺ではダメで高価な両面型を買わないとならなかった。家は子供が多く貧乏で親に買ってくれといいにくかった。当時数人の人が両面型を持っていた、うらやましかった、ヤフオクをみて即刻購入した。この計算尺の製造年月日を調べると、ちょうどその頃に生産されたものだった。今はマニアが使うくらいで20世紀の遺物である。おふくろが良く、同級生がHEMMI計算尺の会社に行っている、良い会社っだと言っていたのを思い出す。
No255d2・写真では無くスキャナーでpdfファイルとしたものです。「hemmi250.pdf」をダウンロード

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2006/04/15

12F

Img_6341・中学2年生の時、ST管5球スーパーを部品を集めて造った、そのとき残っている唯一の部品である、他の部品はなくなってしまった。いまさら整流管は無いだろうが、懐かしいのでとってある。このラジオは写真も残ってない、覚えているのは音が出たとき、橋幸夫の潮来笠が流れてきたことだ。

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2006/04/04

50年前のメーター

Img_1864_1・1956年製造だから50年前のものだ、今のものより何故かつくりが良い
・もっとも今はアナログメーターは少なくなり、デジタル化されてきた。
 こんなものが懐かしく思うのは”おじん”の証拠
・今のデジタルメーターは多分50年後にはつかえないと思う、もっともそんなに長持ちしなくても良いということだろうが、

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2006/03/18

7360

IMG_2689・有名な真空管なので、使う当ては無いがとりあえずGet
・ebayは安いと思って買っても、送料が結構ばかにならないことがあるので要注意だ。
・英語の勉強のつもりでebayを使うが、今まで一度もトラブルは無い、
・$1000以内の取引しかしないが、paypalは便利でよい、それに比べるとヤフオクの支払いはペケですね。

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真空管

IMG_2693・トランペットの絵がある真空管、全盛時代のものだろうがなかなかユーモアがあり笑っちゃいます。6BM8かな?、団塊の世代が定年を迎えかってのラジオ少年が真空管をもとめて値上がりするのでは。まだまだUSAにはかなりあるようだ。

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2006/01/14

放送聴取許可章

IMG_5569・古い我が家の柱に打ち付けてあった物。
・戦後だと思うが、ラジオを受信するのに許可が必要だったのだろう
・なぜか許可証でなく許可章とかいてある。逓信省とは今の総務省(郵政省)かな、
・私が小学生のころ、我が家にも再生式のラジオ受信機があり、浪曲天狗道場なんてのを、聞いた記憶がある。今は亡き親父が壊れるといじっていた。最後トランスから煙がでて捨てたような記憶がある。
・これが記憶に残るラジオ少年の始まりだった。1955年くらいのことだと思う。

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2005/12/10

お宝-2

IMG_5388・20世紀の産業遺物と造った会社tigerのホームページに書いてある
http://www.tiger-inc.co.jp/temawashi/temawashi4.html
・こんな物を手に入れた、お役所で使われていたものである。
・アンモニアの10倍希釈液をぶっ掛け、風呂場でシャワー、その後シンプルグリーンで油とり、またシャワーをたっぷりかけてお掃除、
・よく乾かしてカム機構部等にエンジンオイルをつける、ぐるぐる廻してなじませる
・上記HPよりマニアルをダウンロードする
・+、-、x、÷が機械式でちゃんとできるのだ、
・手に入れた機械は「グレータイガー」と呼ばれ1960年ころ大量に作られたようだ。
・一部プラスチック部品も使われているが、大部分は鋳物と鉄で重い。
・今の値段に直すと30万円位になるようだ。

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2005/12/08

お宝

IMG_1862・真空管(送信管)かわいい格好をしている
・ゲッタがとんで白くなっている
・多分足の部分からでも空気が入っちゃったのだろう

生きたお宝

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